ysuky-hudgeのブログ

読んでいただく皆様の、人生の暇つぶしになれば。

ウイズ#1 死とは何か?を考えるきっかけになった日

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

30代になった今でも、おじいちゃんが亡くなった時のことを良く思い出す。

 

小学校6年生の時に、私のおじいちゃんは亡くなった。

亡くなる3~4年くらい前から、手が震えるようになり、あまり上手くしゃべれなかったり、同じことを繰り返し言ったりして、少しずつ、私の知っているおじいちゃんではなくなっていってしまった。

でも、おじいちゃんは、最後まで穏やかな人だった。

そんなおじいちゃんが私は大好きだった。

亡くなる1年くらい前から入院していたおじいちゃん。

病院にお見舞いに来てくれた、仲の良い床屋のおじさんに、

『髭を剃ってくれないか?』と頼んだ時は、驚いた。

その時はすでに、かなり認知症が進んでいたので、会話すらできないかもしれないと思っていたのに、、、確かに、白い無精ひげが伸びていたし、頼むとしたらこの人しかいないし、『中々粋なお願いをするじゃん』 と家族みんなで笑った。

 

おじいちゃんが亡くなった日は、朝早く病院から連絡があったらしく、父も母も慌ただしかった。小学校6年生の私は、悲しかったはずだけど、イマイチ、人の死というものが理解できていなかったのか、『友達にどうやって説明しよう?』『部活を休まなきゃだめなのかな?』など、そんなことを考えていた気がする。

ただ、朝ごはんがほとんど、喉を通らなかったことだけは鮮明に覚えている。

両親が慌ただしく歩き回っていたからなのか?おじいちゃんが亡くなったことがショックだったからなのか? 良く分からないけど。

 

おじいちゃんのお葬式は、それほど大きなものではなかったが、会社を経営していたこともあり、100人程度の家族・親戚・友人・同業者が集まった。

それでも、私はなんとなく、『こんなに少ないんだ』と思ってしまった。

 

私の『記憶に残っている、あの日』は、正におじいちゃんの葬式の翌日。

テレビのニュースで、お茶の間の誰もが知るような大人気アナウンサーの方が亡くなったことが報じられた日だ。

芸能人や著名人が、次々と泣きながら通夜に訪れ、カメラに向けてコメントをしていた。

もちろん、内容は、悲しい 早すぎる もう一度会いたい なぜあの人が・・というような悲報を受け入れ難いと嘆くものばかりだった。

小学生の私には、良く理解できなかった。この人も優しくて人気者だったんだろうけど、私は私のおじいちゃんの方が大好き。でも、この通夜に訪れて涙を流している大勢の人たちや、テレビでこのニュースを観て、ショックを受け、悲しんでいる日本中の何百万人、何千万人の人たちは、私のおじいちゃんの死を悲しんでいない。 いや、亡くなったことすら知らずに、いつもの生活を送っていたんだ。

このアナウンサーの人と、私のおじいちゃん。同じ人間なのに、なんでこんなに違うんだろう。

もし、死後の世界があったとして、おじいちゃんとこのアナウンサーは、そこで会ったりするのかな? どんな話をするのかな? おじいちゃんは悲しくならないかな?心配だな・・。など、そんなことを考えて、その夜は一睡も出来ませんでした。

 

その日から、私は、死 について良く考えるようになりました。

 

そもそも死とは何なのか?

 

考えても、いつも答えは出ない。死んでみないと分からないからだ。

死んだ人が教えてくれれば、すごいヒントをもらえそうだけど、残念ながら死んだことのある人に会ったことがないし、会いたいとも思えない。

 

基本的には、『人生なんて暇つぶしだ』と思っている私は、死を怖いと思わないはずだが、怖くないと言えば噓になる。

私には2人の子供がいるが、彼らに会えなくなるとすれば、怖いというか、簡単に『はい そうですか』と死を受け入れる訳にはいかない。

『死んでも、可愛い子供たちの寝顔は毎日見れますよ』という特典付きであれば、少し考えるかもしれないが。

 

そんなことを大人になった今でも、風呂につかりながら考えている私は変なのか?と思っていたが、そうではないらしい。テレビをつければ、死後の世界のことを語る専門家やらタレントやらで溢れている。

あるサングラスをかけたタレントが、インターネット番組で、こう話していた。

『生まれる前は、無(仏教で言う"空"らしい)です。だって、あなたも記憶ないでしょ? で、また無に帰るだけだから、死なんて怖くないんですよ!ね?』と。

あまりにも自信満々で語りかけてくるので、納得してしまいそうになったが、やはりイマイチピンとこない。というか、怖い。

 

だから、本当に怖くないことなのか?自分で考えてみる。

あのサングラスをかけたタレントも、こめかみに銃を突きつけられたら 『嫌だ』『怖い』『打たないで』と思うだろう。 それは、痛みを恐れているだけなのだろうか?

冷静になれるわけがない状況下で、パニックになりながらも、頭では『死んだらどうなってしまうんだろう?怖い。なんか分からないけど、死にたくない!やめて!』と思うだろう。

 

一方で、いずれ自分も周りの人も、いつか死ぬことはもう分かっている。

怖がっていても、強がっていても、本当に怖がっていなくても、結局死ぬ。

そこからは、医学がいくら発展しても逃れられない訳だ。

であれば、次は『早いか、遅いか』がポイントになってくる。

ただし、『早い』も『遅い』も主観的なものだ。

私の遅いと旦那の遅いは、絶対に違うし、私の遅いは、子供たちの早いよりも、10倍くらい早いかもしれない。

それは私自身の死に関する話なのだから、私の主観で良い訳だが、いきなり『死』について考えるのも難しいので、まず、これまでの30数年間が早かったのか?遅かったのか?を考えてみる。 ・・・約35年間ということにして、話を進める。

 

この場合は、『期間』なので、長かったか?短かったか?で表現した方が正しそうだが、イマイチピンとこない。

35年と聞くと長かったようにも思えるが、今の私の頭の中には、35年間を思い出したくても、具体的な思い出がほとんど浮かんでこない。

思い出そうとすると、最近の7~8年間の子育て・社会人生活の思い出ばかりだ。

もう少し頑張って絞り出すと、大学時代の思い出もちょろちょろと、壊れかけの蛇口から漏れ出した水のように思い出せそうな感じがする。

そうなるとつられて高校生活もいけそうな気がしてくる。

授業中にトイレに行きたくなり、我慢した25分くらいは気が遠くなるほど長く感じた。そう、たしか25分くらいだった気がする。

ん?待てよ。その25分をリアルに思い出そうとしても、フラッシュ的に情景が一瞬だけ、時間にして1秒程度しか思い出せない。永遠のように長く感じたはずなのに?

 

子供のころなんて、もっとそうだ。生まれてから、幼稚園に通って、小学校と中学校を卒業するまで14年くらいあるのに、、、その14年がものすごく凝縮された時間になっている。思い出すと、その時間は体験したものよりも何百倍も何千倍も短く凝縮されるんだ。そして、その時が過去になればなるほど、その凝縮率は高くなる。そして、部分的に切り取ろうとしても、凝縮率が高すぎて、脳内で表示・認識できなくなってしまうことを『忘れる』というのだろう。

 

思い出のインパクトの強弱でその凝縮率に差が出るとしても、基本的には古くなった思い出はどんどん凝縮されてしまい、野菜ジュースを作った後の、ミキサーの底に沈んだ搾りカスみたいになってしまう。

昨日の晩御飯のおかずを思い出すのがやっとの私たちの頭脳では、大して覚えていられないんだ。覚えていないのであれば、生きていても死んでいても同じ。

長いも短いも無くて、覚えてられるのは、ある一定期間の記憶だけで、それらは随時アップデートされていく。

 

つまり、『35年間って長かった? それとも短かった?』と聞かれるとその答えは

『長かったような、短かったような気もするけど、詳細まで思い出せないから良く分からないや』となる。

 

そういう意味では、"いつ死んでも同じ"と言えなくもなさそう。

生まれてから1ヵ月で死んでしまう命も、98年と2ヵ月半経ってから死んでしまう命も、同じというわけだ。

 

 

 

そんなことを眠れない夜に考えながら、月明かりに照らされた我が子の寝顔を見ていた。

昼間、あんなに暴れまわっていたうるさい坊主が、今は、こんなにも愛しい。

この子達の為に生きたいと思える。

もしも、この子達が、1ヵ月で死んでしまう命だったとしたら、私のこの気持ちも、数年前に死んでいるという訳だ。

 

寝室を出て、台所で麦茶をコップに注いでいると、旦那も起きてきた。

『明日、、おじいちゃんのお墓参りにでも行ってこようかな』と私が言うと、

旦那は、なんだよ急に と笑った。

 

月がきれいだったので、私はしばらく何も考えずに、それを眺めていた。